〈 第二回 HRダダ 〉 Away from “mean”
1. 私たち自身の内なる「変革」
企業再生や変革の現場で、人と組織のあらゆる問題に直面しています。
恰好のいい話ではなく、私自身が困惑し、じりじりと悶々と、垂直の壁の真下で、ただ途方にくれている。
一体、どんな断片を繋ぎあわせれば、壊れてしまった組織を再現できるのかと。
テクノロジーの世界のように、よそ見しているだけで一変してしまうくらい明け透けな変化なら、私たちはもっと容易く変化へのGOサインを受け取り、次の扉を開けて進むことができるだろうと思います。
しかし、HRの世界はそうはなっていない。「人や組織にいかに関わっていくのか?」という問いは、それを問う私たち自身の内なる変革を要請すると思うのです。
何かすごい技術を導入することで解決できる<問題>があったとしても、その技術を導入できない<私たち>であるなら、やはり<問題>は解決できないままとなってしまう。問題は、技術やツールで解決できる位相から、次の位相へとぬるぬると逃げ出していく。私たち自身の位相へと。
3. 平均化「mean」した状況で
この文章を読まれている人なら、過去に一度でも、ご自身の組織の状態をより良くしなければと、「人と組織に介入したい」、「組織を変革したい」と思われたことがあるでしょう。しかし、 一体、何を変えていけばいいのか。 本や最新の人事施策、キーワードを紹介する記事に目を通し、それをヒントにご自身の組織を観察してみたりします。 とはいえ、「組織を変えるために、一体何が必要なのか」はなかなか確信をもっては見えてはきません。
ハッキリとは分からないけれど、上手くいっていない違和感は確かにある。そうなってくると「他社もやっているから、とりあえず・・・」と言ったかたちで、施策や打ち手を導入せざるを得ない。人や組織に無関心な経営層がいるなら、なおさら他社と横並びの施策の方が理解を得やすい。もしかすると、そんな風にして、1つのキーワードや施策が、HR業界で市民権を得ていくのかもしれません。
一人の社員、一つの事業、一つの会社。そこには個性がある。けれど、人事施策はいつも似通ったものばかり。個性あふれる企業を育てるHRこそが平均化(mean)し、もはや交換可能なものとなってしまっている。
そんな日々のうちに、本当にこれで良いのか判然とせぬまま、私たちの<希望>が<諦め>に、<変革するHR>は<ただの会社員>へと変わっていってしまう。私たちへの魔法は、思っているよりも随分と簡単に、その効力を失っていくのです。
そのような平均化(mean)した状況で、豊かな人材やビジネスが生まれるのでしょうか。豊かな社会は、訪れるのでしょうか。枯れた土地に植物が繁茂することがないように、それが都合の良い手前勝手な想像に過ぎないことを本当は私たちは知っているはずです。
2. 窒息しそうになりながら、水の中を泳ぐ
私たちが出会う企業の人事部門の方々は、すばらしい方ばかりです。
「社員の中の無限の可能性を拓くキッカケを与えたい」
「自社のアイデンティティをアップデートし、未来に残していきたい」
そう語る瞳には、人や組織を慈しむ静かな力が確かに宿っています。
そして、その力は、自己研鑽としては多くのセミナー・勉強会への参加や資格取得、実践としては様々な人事施策の導入などとして表現されています。
一方で、そのような「研鑽」と「実践」の日々がありながら、やっていることにイマイチ自信が持てない、効果があるかどうか分からない、という声や、効果が無い施策だが、会社や上司を動かせないので、なんとなく続けているといった言葉もよく聞かれるところです。
希望と諦め。ロマンとリアル。
会社を変えていく存在である自分自身と、たかだか会社員であるという自分。
2つの間で、時に窒息しそうになりながら、水の中を泳いでいる。
4. 悲喜こもごも、汗、涙
私たちは、外から見れば、小さなコンサルティングファームであり、データサイエンス企業です。
ですが、中身はちょっと変わっています。
経営学者は当然ながら、数学者や芸術家、統計学者や医師などの専門家と、経験豊富なコンサルタントや経営者などの実践家が、互いの領域を越境し、クライアントの難題に日々挑んでいます。
多様性はイノベーションや価値創造の基盤ですが、実現するのは至難の技。人間として一人ひとりがぶつかり合い、すれ違い、本当の理解に至る面倒なプロセスが必要です。
そのような<人間的な絡み合い>に満ちた奇跡的な場をつくり、維持することは大変ではあります。しかし、その重荷は私たちの誇りともなっています。
その重さは、確かにそこに存在することの証(あかし)となるのです。
新聞の一面を飾る不祥事
小さなオーナー企業の血で血を洗ういざこざ
ときに突然の逮捕劇
旧態依然と事なかれ主義のリミックス戦略で
いつまでも低空飛行な超大企業
認知症で引退していた創業オーナーの突然の再登板
そのことがもたらす、てんやわんや
キーワードを並べると日曜洋画劇場のような私たちの日々。
そこには、下手なドラマ以上の悲喜こもごもと、人と組織を変革せんとする人事部門やマネジャーの方々の汗と涙、願いがあります。そして、もちろん私たちの積み上げてきたたくさんの知見とデータも。
5. 「mean」からの決別
HRダダは、アカデミックな知見とデータから得られた唯一無二のインサイト、そして何より企業・組織の変革に挑む私たちが培ってきた実践知を想いのある方々に届ける場です。
これは、日常の中で静かに引き裂かれ、窒息しそうに泳ぐあなたを水面へと引き上げる浮力となるでしょう。一人では遠かった水面へと浮上し、肺いっぱいに外気を吸い込む契機となるのです。
HRダダに参加しても、あなたの問題に沿う答えを得られることはありません。
そこで得られる時間は格別なものですが、それを使いこなすには素直さと忍耐、そして情熱と一握りの勇気が必要だからです。
しかし、それがあれば、効果の実感できない人事施策を漫然と繰り返す後ろめたさとみすぼらしさ(mean)からの決別のプロセスが始まります。
HRダダは、人と組織に向き合い悩む人事担当者やマネジャーの方々が、自身の会社を未来へと導く知見を探求する場です。
深く呼吸し、自分自身を取り戻し、自らを賦活する場です。
この場が、10月の青空のような解放感を皆さまに与えることを願って、開催します。